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“伝えるんだ”という言葉が残したもの|映画『5・18』

あらすじ

1980年、韓国・光州市。タクシー運転手の青年ミヌは、両親を早くに亡くし、高校生の弟ジヌの親代わりとなって懸命に面倒を見てきた。そんなミヌは、ジヌと同じ教会に通う看護師のシネに秘かな想いを寄せていた。5月18日、ミヌは、ジヌを交えた3人で映画を観に行くことになった。彼らが映画館でコメディ映画を楽しんでいた外では、学生の民主化デモ隊と戒厳軍の衝突が勃発していた…。やがて、その騒乱は映画館にも及び、ミヌたち3人もこの悲劇に巻き込まれていく。ミヌは政治には関心がなかったが親しい者たちが虐殺される姿を目の当たりにし、市民軍に参加するが…。(AmazonPrime)

感想

映画『光州5・18(華麗なる休暇)』を見ました。
今日は5月18日。韓国では『5・18民主化運動』を追悼する日です。

映画の中には、普通の日常があります。
映画館へ行く若者たち。恋をする人。家族を心配する兄。勉強をして、良い大学へ進み、未来を生きていくはずだった学生たち。

けれど、その日常は突然壊されます。

 

ただ映画を見に来ていただけの観客たちが、理由もなく引きずり出され、暴力を受ける。
何の罪もない人々が傷つき、倒れていく姿は、本当に胸が苦しくなりました。

 

この映画で特に印象に残ったのは、「今日で終わる」と思っていた恐怖が、終わりではなかったことです。
むしろそこから、長い地獄のような時間が始まっていく。

自由へのカウントダウンであるはずだったその時、韓国国歌『愛国歌』が流れます。
けれど、その旋律が“殺戮の始まり”のように響いてしまう。
それが、あまりにも残酷でした。

本来、国歌とは国や人々を想うための歌であるはずです。
しかし映画の中では、その歌が暴力や統制の空気と重なっていく。

「国を守る」という名目が、いつの間にか市民へ向けられてしまう恐ろしさ。

また、この映画で描かれるのは暴力そのものだけではありません。
それを“正当化しようとする言葉”の恐ろしさでもあります。

「鎮圧」「統制」「責任」――。
そうした言葉の裏で、傷つき、命を奪われていく市民たちの姿が置き去りにされていく。

だからこそ『光州5・18』は、単なる歴史映画ではなく、「国家とは何か」「人を守るとはどういうことなのか」を静かに問いかけてくる作品なのだと思いました。

 

そして心に残った台詞があります。

「すべてが夢ならいいのに。」

あまりにも残酷で、現実とは思いたくない。
だからこそ出てくる言葉だったのだと思います。
けれど、それは夢ではなく、本当に存在した現実でした。

「怖いもんか。希望もないし。生きて何になる?」
「――伝えるんだ。」

というやり取りも、とても胸に残りました。

生き延びることさえ難しい状況の中で、それでも「伝えるために生きる」という言葉が出てくる。
この映画は、単なる戦いや暴力ではなく、“記憶を消さないこと”の意味を描いている作品なのだと感じました。

印象的だったのは、多くの犠牲者が並ぶ場面で、写真を撮っているのが外国人記者だけだったことです。
(別の映画『タクシー運転手 約束は海を越えて』では、命を懸けて光州の真実を世界へ伝えようとした外国人記者の姿が描かれています。)

当時、光州で起きていたことは韓国全土に正しく伝わっていたわけではありませんでした。
情報が制限され、多くの人々は真実を知らされないままでした。

だからこそ、「記録すること」「外へ伝えること」がどれほど重要だったのかを、あの場面は静かに物語っていたように思います。

また、市民軍の姿もとても苦しかったです。
彼らは戦うための人たちではありませんでした。
家族や仲間、そして守りたい場所のために集まった普通の市民たちです。

十分な武器も力もないまま、次々と命を落としていく。
その姿は“英雄”というより、極限の中で必死に人間らしさを守ろうとしていた人々に見えました。

個人的には、エンドロールの最後に、実際の記録写真や犠牲者への追悼の言葉が流れてほしかったという思いもあります。
それほどまでに、この映画は「過去の物語」ではなく、現実に存在した痛みとして胸に迫ってきました。

映画が終わったあとも、何とも言えない気持ちが残ります。
私はあの時、韓国にいながらも、何も知らなかった。

忘れないこと。
知ろうとし続けること。
そして、伝えていくこと。

それが、この映画を見た私に残されたものなのかもしれません。

俳優・アン・ソンギ

『光州5・18』は、『タクシー運転手 約束は海を越えて』と同じく、光州民主化運動を題材にした映画ですが、より市民側の痛みや現場の空気に深く寄り添った作品だと感じます。

特に印象的なのは、元軍人の男性が再び戦いの場へ向かう場面です。
本来なら武器を置き、静かに生きていたかったはずの人が、市民を守るために立ち上がらざるを得ない。
その姿には、単純な英雄性ではなく、時代に追い詰められた人間の苦しさが滲んでいました。

その役を演じたのが、韓国を代表する名優、アン・ソンギさんです。

長い年月をかけて韓国映画界を支えてきた俳優だからこそ、この作品で見せる眼差しや沈黙には、言葉以上の重みがあります。
激しい感情をぶつけるのではなく、静かな表情の中に、“守れなかった時代”への痛みや、“それでも守ろうとした人間”の悲しさが滲んでいました。

(アン・ソンギさん出演作品については、以前こちらの記事でも書いています。)

そして今年1月、アン・ソンギさんはこの世を去りました。

長い間、韓国映画界を支え続け、多くの作品を通して人々の記憶に残る演技を見せてくださったことに、心から感謝したいと思います。

ご冥福をお祈りいたします。

セリフ

銃より恐ろしいものが何か分かるか?
――人間だ。

5日耐えれば勝てる。

アメリカが味方なら、こんなことは起きなかった。 5日耐えれば勝つ。その意味は、残された時間が5日しかないということ。

みなさん、隣の人の顔を見てください。

今夜、聖なる戦闘をともにする戦友です。

戦友の顔は自分を映す鏡です。

戦友の顔から恐怖を消してください。

私たちは生きるために戦い、勝つために戦うのです。

みんなで最後まで戦い抜きましょう。

この瞬間を共にしている皆さんを誇りに思います。

光州事件(光州事態)とは?

1980年5月18日から27日にかけて、韓国の全羅南道・光州(クァンジュ)市で起きた、軍事独裁政権に抗議する市民たちと、それを武力で鎮圧しようとした軍(戒厳軍)との間で起きた、韓国現代史上最大の民主化運動(大規模な衝突事件)です。

当時は政府側から「不純分子による暴動(事態)」と呼ばれていましたが、民主化が進んだ現在の韓国では「5・18民主化運動」として公式に名誉回復され、国家記念日に指定されています。

なぜ起きたのか?

  • 独裁者の暗殺と新たな軍の台頭 1979年10月、長年独裁を続けていた朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が暗殺されました。国民は「これでようやく民主化される」と期待しましたが、直後に全斗煥(チョン・ドゥファン)を中心とする若手軍人グループがクーデターを起こし、再び実権を握ってしまいます。

  • 「非常戒厳令」の拡大 これに怒った学生や市民たちが、1980年5月に入り、全国で激しい民主化デモを起こします。これに対し全斗煥グループは、5月17日に「非常戒厳令(軍が政治や治安のすべてを支配する命令)」を全国に拡大し、大学を閉鎖、金大中(キム・デジュン)氏などの民主化指導者を逮捕しました。

10日間の経過

① 5月18日:始まり

光州の全南大学の門前で、学校を閉鎖されたことに抗議する学生たちと、派遣された軍の特殊部隊(空挺部隊)が衝突しました。軍は学生だけでなく、周囲にいた一般市民に対しても、警棒や銃剣で激しい暴力を振るいました。

② 5月21日:発砲と市民軍の結成

軍の行き過ぎた残虐行為を目撃した光州市民は激怒し、サラリーマン、タクシー運転手、主婦、高校生など、街全体がデモに参加します。 5月21日、ついに軍が市民に向けて一斉射撃(発砲)を開始し、多くの犠牲者が出ました。これに対抗するため、市民たちは警察の武器庫などから銃を奪って「市民軍」を結成し、自衛のために戦い始めます。激しい戦闘の末、軍を一度街の外へ退却させ、光州市内を市民の手で解放しました。

③ 解放された光州(数日間の奇跡)

軍が撤退した数日間、光州市内は市民たちによって治安が維持されました。 銀行強盗や略奪などは一切起きず、主婦たちは市民軍のためにタコ飯(おにぎり)を作り、怪我人のために多くの市民が病院へ自発的に献血に並びました。この期間は「光州共同体」と呼ばれ、韓国の理想の民主主義の姿として語り継がれています。

④ 5月27日:制圧(悲劇の結末)

5月27日の未明、圧倒的な武器を持つ陸軍の正規部隊が光州市内に突入。市民軍の最後の拠点であった全羅南道庁を包囲し、銃撃戦の末に籠城していた若者たちを鎮圧しました。これにより、10日間にわたる運動は幕を閉じました。

なぜ「情報の孤立」が起きたのか?

当時、軍は光州へ通じる道路や通信(電話)を完全に遮断し、街を孤立させました。 さらに国内のテレビや新聞に厳しい検閲をかけ、「光州で北朝鮮の工作員に扇動された暴徒が暴れている」と偽りのニュースを流しました。そのため、光州以外の韓国国民は、現地で大虐殺が起きていることを長い間知りませんでした。 これを命がけで世界に伝えたのが、映画『タクシー運転手』のモデルとなったドイツ人記者、ユルゲン・ヒンツペーター氏らでした。

歴史的な意味と現在

光州での運動は悲劇的な結末を迎えましたが、市民たちの「命を懸けて民主主義を守る」という精神は死にませんでした。 この時の強い想いが、のちの1987年の「6月民主抗争」へと繋がり、ついに韓国は国民の手で大統領を直接選ぶ「民主化」を勝ち取ることになります。

映画『光州5・18』の中で描かれた「伝えるんだ」というセリフの通り、この記憶を消さずに語り継いだ人々がいたからこそ、今の韓国の自由があります。

 

※今回の記事は、映画を観ながら感じた私自身の考えや感想をもとに、ChatGPTに文章整理のサポートをしていただきました。

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光州5・18

光州5・18

  • キム・サンギョン
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