映画を観ながら、何度も涙が出ました。
これは単なる介護サスペンスではない。
介護、家族、尊厳、孤独、自己責任、そして「救い」とは何か。
観終わった後も、簡単に答えを出せない問いが、静かに胸へ残り続けます。
あらすじ
早朝の民家で老人と訪問介護センターの所長の死体が発見された。捜査線上に浮かんだのは、センターで働く斯波宗典(松山ケンイチ)。だが、彼は介護家族に慕われる献身的な介護士だった。検事の大友秀美(長澤まさみ)は、斯波が勤めるその訪問介護センターが世話している老人の死亡率が異常に高く、彼が働き始めてからの自宅での死者が40人を超えることを突き止めた。真実を明らかにするため、斯波と対峙する大友。すると斯波は、自分がしたことは『殺人』ではなく、『救い』だと主張した。その告白に戸惑う大友。彼は何故多くの老人を殺めたのか?そして彼が言う『救い』の真意とは何なのか?被害者の家族を調査するうちに、社会的なサポートでは賄いきれない、介護家族の厳しい現実を知る大友。そして彼女は、法の正義のもと斯波の信念と向き合っていく。(C)2023「ロストケア」製作委員会
「安全地帯」にいる人間には分からない苦しみ
映画の中で、検事は何度も「命を奪うことは許されない」と語ります。
それは正論。
誰にも他人の人生を終わらせる権利はない。
けれど、この映画を観ていると、その正論がどこか空回りして聞こえてしまう。
なぜなら、この作品には「穴の底」に落ちてしまった人間たちの苦しみが、あまりにも生々しく描かれているから。
終わりの見えない介護。
睡眠も奪われ、仕事もできず、社会から孤立し、制度にも救われない。
「これ以上、何を頑張ればいいのかわからない。」
その言葉が、とても重く響きます。
世の中には、安全地帯にいる人よりも、穴の底でもがきながら生きている人の方が、ずっと多いのではないでしょうか。
だから私は、検事の言葉よりも、追い詰められた彼の言葉の方へ、心が揺れてしまいます。
もちろん、殺人は許されることではない。
しかしこの映画は、「なぜそこまで追い詰められたのか」を観客へ突きつけてくるのです。
絆は、本当に美しいものなのか
映画の中で繰り返されるのが、「家族の絆」という言葉。
しかし主人公は、それに強く反発する。
「絆は、呪縛でもあるんです。」
この言葉が、とても苦しい。
家族だから見捨てられない。
愛しているから逃げられない。
だから共倒れになってしまう。
この映画は、家族愛を否定しているわけではない。
むしろ、愛情があるからこそ、人は壊れていくのだと描いている。
「人として死にたい。」
その台詞には、“死にたい”というより、“人間として終わりたい”という願いが込められているように感じます。
最も苦しかった場面
私が最も心を痛めたのは、裁判の場面でした。
お母様が殺されていたと知った時、どんなことを思われましたか?
驚きました。
信頼していた介護士だったんですね。
私は救われたんです。
それは、あまりにも過酷な介護から救われたということですか?
はい。
検事との話で「救われた」と話した彼女が裁判では彼に向かって「人殺し」と叫ぶ。
母の死によって介護から解放され、やっと平穏な生活が戻って、新しい人生を歩き始めているにもかかわらず。彼女は彼を「人殺し」と罵倒することで、自分を守ろうとしたかもしれない。
この映画は、誰か一人を悪にして終わる作品ではない。追い詰められた人間たちの矛盾も表す。
「見えない」のではなく、「見たくない」
映画の中で、とても印象に残った言葉がある。
「人には、“見えるもの”と“見えないもの”があるんじゃなくて、“見たいもの”と“見たくないもの”があるだけなのかもしれない。」
介護の現実。
孤独死。
介護離職。
制度からこぼれ落ちる人たち。
それらは最初から存在している。
ただ、多くの人が「見たくなかった」のかもしれない。
これから増えていく問題
これから日本では、介護問題はさらに深刻になっていくと思います。
老老介護。
介護離職。
孤独死。
そして、介護殺人。
もし彼が手を下さなかったら、本当に娘や息子が親を殺していたかもしれない。
もちろん、だからといって殺人が許されるわけではない。
しかしこの映画は、「事件を防ぐ前に、人をそこまで追い込ませない社会だったのか」を問い続けています。
安楽死という問題
この映画を観ながら、私は「安楽死」という問題についても考えさせられました。
“生きること”と“人間らしく生きること”は同じなのか。
誰が命を決めるのか。
苦しみの中で、尊厳とは何なのか。
簡単には答えの出ないテーマだからこそ、この映画は深く心に残ります。
セリフ
映画には心に沁みるセルフがたくさんありました。斯波を通じて発するそのセリフは安全地帯ではない所にいる自分だからこそ、共感できたかもしれない。
「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」
僕には、これ以上何を頑張ればいいのか、わかりませんでした。 この時、気づきました。この社会には穴が開いているって。 一度でも落ちてしまったら、この穴から簡単には抜け出せない。
これはもう人間の生活じゃない。 お互いに限界でした。
頼みがある。私を殺して。 人として…死にたい。
だから父親を殺したと言うんですか? あなたは辛い介護から逃げるために父親を殺した。 どれだけ理論を並べても、あなたが身勝手な犯罪者であることに変わりはありません。
検事さん、あなたがそう言えるのは、自分は絶対に穴に落ちない、安全地帯にいるからですよ。 もちろん僕は、あの辛い介護から一日も早く解放されたいと思っていました。でも、それと同時に、父のためでもあったんです。
「僕は、かつての自分が“誰かにしてほしかったこと”をしただけです。」
ケアセンターでの仕事を通して僕はたくさんの父たち、たくさんの僕に出会いました。 暗い穴の底で、愛情と負担の狭間で弱き苦しんでいる人がたくさんいました。 世の中はそんな人たちに手を差し伸べるどころか、自己責任がなんだと自分たちの勝手な理屈を振りかざしてさらに追い詰めていく。
あなたがやったことは自分勝手な誤った正義感に基づいた殺人です。第三者のあなたに他人の人生の決着をつける権利などありません。
あなただって同じじゃないですか。 僕が人殺しなら、あなたも人殺しだ。 あなたは僕を死刑にするためにこうして取り調べをしている。
人が人を殺すのは悪。国が人を殺すのは正義。まるで戦争の理屈ですね。
僕個人が殺すのも国が殺すのも、人の命に変わりはない。 むしろ正義は僕にあると思いませんか?僕の殺人は救いだったんですから。
安全地帯にいるあなたには、穴の底で苦しむ人たちの気持ちがわからない。
あなたは、目の前で溺れる人がいても救わないんですか? あなたの親が僕の父のようになっても、同じことが言えますか?
どのような過酷な介護の日々であろうが、そこには苦しみも、喜びも、悲しみも、一緒に暮らし分かち合った者にしかわからない深い感情があるんです。大切な家族の絆をあなたが断ち切っていいわけがない。 喜びも、悲しみも、一緒に暮らし分かち合う者にしかわからない深い感情。
なんですかそれ。絆? それがどれだけ家族を苦しめているか。検事さん、一カ月、いや1週間でもいいから、介護を経験してみたらどうですか。 あなたみたいに安全地帯から綺麗ごとを並べる人間が、あんなとこに入る人間を余計に苦しめるんです。検事さんのご家族は、さぞかし美しい絆で結ばれているんでしょうね。
この事件には関係ありません。
逃げないでください。あなたが言い出したんです。ご両親はお元気ですか。 教えてください。あなたの深い感情と、家族の絆が具体的にどんなものなのか。
検事さん、僕は正しいことしかしていません。あなたは、大切な家族の絆を断ち切っていいはずがないと言われました。 でも、絆は呪縛でもあるんです。ロストケアは、自分でもどうすることもできない呪縛から解き放つための唯一の手段です。
現代のこれから、容赦のない心をえぐる言葉、泣き叫ぶ声、深い溜め息、乾いた唇から漏れてくるうめき、それが現実なんです。 家族のために、地獄を生き抜けてはいけませんか。
死ぬ時くらい、親を、家族をやめさせてあげてもいいじゃないですか。人間として死なせてあげたっていいじゃないですか。
この世には、罪悪感を捨ててでも、人を殺すべき時があるんです。僕を試験するあなたの魂。そして僕も、同じように悲しい。
どうぞ、僕を殺してください。どうか、僕を救ってください。
